日本の自信喪失が顕著である。あれほど天下無敵を誇った「日本システム」も今やくそみそに批判され、日本人はすっかり弱気になってしまったようだ。つい昔までの「ゴーマ(傲慢)ニズム」から一転して今や自虐的な「日本まったく駄目論」が蔓延っている。どちらが正しいかはともかく、この極端から極端への振れの大きさに現代日本人の弱さがあらわれているように思う。
背景に待ったなしの「グローバル化」への適応が人々に大きなストレスを引き起こしていることがある。しかし前例がないわけでもない。文明開化となれば何と言っても明治時代。その時代に日本の国際化の第一線に立ってグローバル化に直面した当時の第一級の人々の葛藤ぶりを見ることは現代日本人にとっても参考になるように思う。森鴎外、夏目漱石、永井荷風にそれを見てみたい。
この三人のうち一番早く欧米文化に触れたのは鴎外であった。陸軍省から明治17年にドイツに派遣された。日清戦争の始まる10年も前のことであり当時の日本は極東の全くの弱小国であった。鴎外はベルリンで華やかな社交と観劇に明け暮れる生活を送る。鴎外においては文化摩擦とかコンプレックスが不思議なほどに見られないのだ。もっともその後帰国して陸軍で出世するが、後を追いかけてきた(『舞姫』のモデルらしい)ドイツ婦人には「普請中なのだ」と言い訳のような言葉を述べる。鴎外にとって日本とはあくまでも「普請中」なのであり、だから葛藤もコンプレックスも何もなかったことがわかる。
ところが明治33年にロンドンに留学した漱石の時代になると状況は大いに異なった。日本は極東の強国としての地位を固めつつあった。どうしても漱石は自意識過剰となり西洋文化との適応に悩みに悩む。明治20年代に大幅円安が進行して漱石のロンドン生活は経済的に苦しかったこともある。「惨めなむく犬のような」生活ののち、ようやく「自己本位」という拠り所を見つけはするが、ほとんどノイローゼになってしまう。無礼を承知で言わせていただければ、あまりに肩に力が入っていたように思う。しかしさすがは漱石、「(日本人は)自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛のごとくせよ」と印象的な言葉を残しているのである。
興味深いのは永井荷風である。荷風が日本を離れるのは明治36年だが、荷風の場合に特徴的なことは、ほとんど完璧に西欧文明に適応するのであるが、逆に当時の日本の表面的な「近代化」に激しい嫌悪感を感じるようになったことである。遂に荷風は似非「近代化」には背を向けて江戸伝統文化への回帰を決意するのだ。この当時の安直な「近代化」がその後の日本を破滅に追い込んで行くことは荷風の直感通りであった。
いま自信喪失の時代において、われわれはこの三人の先達から学ぶところが多いように思う。われわれ平成の日本人は今、鴎外のように日本は所詮「普請中」と割り切ってもっと気楽になり、荷風がもっとも嫌った「背伸びした(似非)近代化」はつとめて避け、漱石が書いたように何を言われても「真面目に牛ごとく黙々と進む」べきなのである。
(橋本)